HOUSE VISION研究会報告|日本
第1回「東京という都市の未来について」2011年3月7日(月)

第1回のテーマは「東京という都市の未来」。大野秀敏氏(建築家・都市デザイナー/東京大学大学院教授)を迎え、日本の都市のこれまで/これからをマクロな視点で俯瞰することから始まった。

大野秀敏
大野秀敏 Hidetoshi Ohno
建築家・東京大学大学院教授
1949年生まれ。東京大学大学院修士課程修了、槇総合計画事務所、東京大学助手、助教授、デルフト工科大学客員研究員などを経て、現在東京大学大学院教授。著作は、『香港超級都市 Hong Kong:Alternative Metropolis(雑誌SD 92年3月号特集) 』、『建築のアイディアをどのようにまとめてゆくか』(2000)『ファイバーシティ/東京2050』(雑誌JA 06年9月号全巻特集)、『シュリンキング・ニッポン─縮小する都市の未来戦略』(2008)など。建築作品はNBK関工園 事務棟・ホール棟、茨城県営松代アパート、YKK滑川寮、旧門司税関改修、鵜飼い大橋、フロイデ彦島、YKK健康管理センター、東京大学数物連携宇宙研究機構棟など。作品で日本建築学会賞(作品)、JIA新人賞、日本建築学会作品選奨、建築業協会賞、ベルカ賞など受賞。

これまでの
日本の都市建築環境とは

1.短い寿命の建築

日本の住宅は寿命が短い。日本人は家を消費材として考えるようになった。そのため家は30年ごとに更新され(アメリカの半分程度)建設産業が肥大化していった。それが国策でもあった。どうせ建てるなら最新の建築を求めるので、住宅地は住宅展示場のようになる。

2.消費材的住宅マーケット

日本は住宅を選ぶ行動が特殊である。例えばマンションはモデルルームとカタログで販売され、青田買いで、近隣環境などをじっくり考える余裕がない。モノとして建物を評価するわけではないので、イメージ広告が有効になる。

3.ストック形成が難しい

20世紀は、高度経済成長を通して人々の生活水準が急速に向上した。常に新しい「生活水準」が提示され、片方では常に「型落ち」感がある。しかし無限のアップグレードはありえない。日本の高度成長の状況はその典型的な社会であった。人々の暮らしには有史以来の未曾有の変化があり、それが日本の成功だと思われていた。また、日本人は歴史的建造物を活用する習慣が欠如している。諸外国では先進国首脳会議は古城など歴史的建造物で行われる。しかし、日本では二条城において開催されたことはないのである。国賓を招くために新モダン調の新迎賓館を建ててしまい、それを疑問に思わない。日本の歴史的建造物は見学の対象であり、文化財として扱うことが逆に歴史的建造物を活用できにくい状況を生み出していると言える。
こうしたさまざまな状況から、日本の都市環境は非常に消費的な文明が形成された。これは世界のスタンダードではないことを自覚する必要がある。

4.クレーム恐怖社会

マンションの内覧会で壁面のわずかな傷が指摘されただけで、デベロッパーは壁紙を全面貼り替えている。道路工事現場に誘導要員を置くのも日本だけ。日本はムダな仕事がGDPを押し上げるという、ばかばかしい経済が動いている。それが社会の発展と勘違いする。世界的には誰も気にしない程度の機能や注意書き、クレーム対応が溢れていく。誰かが勇気を持って異を唱えるべきだろう。

5.欧米文化に対するコンプレックス

19~20世紀は西欧社会が物質文明や文化活動においてヘゲモニーを握った。日本の文明開化はあらゆるものを西欧風にすることで成功した。しかし今後、アジアが世界経済の先導的な役割を果たすようになった時に、文化的アイデンティティをどう確立するかが課題になる。これからのアジアの中で日本派経済的なヘゲモニーは握れなくても、日本はそこに多くの可能性を提供できるはずである。

これからの都市に
見えている未来

これからの都市に見えている未来

日本人の人口は2055年までに30%減となる。数にして約4000万人減。北海道から北関東までの人口が約2000万人であるから、その2倍の人口が次の40年間で失われると考えるとリアルである。同時に高齢者が40%となり、それは現在の2倍だ。高齢者が増えると、年金をアテにできなくなるため労働参加しなければならなくなる。経済的に多くの人が生産に従事しないとこれまでのクオリティ・オブ・ライフを維持できなくなるからだ。かつては定年を迎えると隠居したが、高齢者が否応なしに労働に駆り出されるようになる。生涯現役を実現するにはどこに住めば良いかが住宅選びのポイントになる。有権者の約半分が高齢者になるので、高齢者の意向が政治に反映しやすくなる。
もう一つの傾向は単身世帯の増加。2055年までに単身世帯は40%になると言われている(スウェーデンは46%が単身世帯)。NHKのある番組では、2030年には男性の3人にひとり、女性の4人にひとりが生涯独身になると報じていた。日本は「さみしい社会」になる。
こういう状況になれば、建設業に依存した経済は、人口減少とともに維持できなくなり、施設余りが始まる。縮小が求められる建設部門をいかにソフトランディングさせるかもテーマになる。

期待的予測

では、これからはの都市はどうなっていったらいいか。期待的な予測を次のように挙げていく。

1.女性の本格的社会進出(日本は相当遅れている)

2.外国人の増加

国際的な人的資源調達ができない国は発展できない。しかしこれで人口減少を穴埋めできるかは不明である。

3.知的サービス産業

モノづくり、生産が後発の工業国に追われている。これからは知的サービスへ移行していくだろう。

4.高度機能モノづくり

5.農業の企業化

農業の企業化は必須である。農業は未だに家業としての世襲であって、それでは続かない。農業が若者の就職機会の選択肢となる状況が農業の発展には不可避である。農業の問題は都市の問題でもある。必ず取り組まなければならない。

あたたかいインフラ

6.あたたかいインフラ

4000万人の人口減少の影響を考えると、政策的にコンパクト化して都市機能を集約する方法が考えられる。それを採用しない場合、ある街がまるごとなくなる可能性がある。そうなると公共サービスを支える税収が不足し、さまざまな公共施設が運営できなくなる。さまざまなスケールでこうしたことが起こるだろう。それを補完するサービスが新しいインフラとして必要になるだろう。
「コミュニティ・ダイニング」はその一つの提案である。かつては近所に八百屋や魚屋があって新鮮な食材が買えたし、気軽に食事ができる飲食店があった。しかし、それらがロードサイドのショッピングモールに集約され、クルマがないと当たり前の食事ができない状況が問題になっている。アメリカで「フード・デザート」と呼ばれている問題だ。食事の質は健康に影響を与えるし、食の楽しみも失われる。昔はどこの街にも銭湯があったように、近所に客単価500円程度の食堂があれば、人々のクオリティ・オブ・ライフが改善されるはずだ。同時に人と人の付き合いを促進させることも期待でき、「さみしい社会」の解消にもなる。
ボランティア的な仕組みや公的補助も必要になると思うが、一方では地域の雇用機会増加にもなるし、生活者は「さみしい社会」のみじめな生活が改善され、この街に暮らしていて良かったと思うようになる。コミュニティ・ダイニングは道路やガス電気とは違う「あたたかいインフラ」になると言っていい。

7.いまあるものを利用する

産業的な側面から言えば、今後リフォームが増えていくはずだ。東京大学では1990年頃に女子学生の増加とともにトイレを増設することになった。既存のトイレを改修する際に排水の問題があり、日本には良いポンプがなくて、いろいろ探した結果フランス製のポンプを導入することになった。フランスにはリフォーム需要が多いためそうした製品が流通していたが、日本にはその需要が少ないためつくられていなかったのだ。建物の改修需要は新たな需要をつくり出し、産業をつくりだす可能性がある。
人口が減少すると空き地、不在地主が大きな問題になる。4000万人の人口減少がそれ以上の不在地主を生み出すことになる。それはとりわけ地方都市にとってはやっかいな問題だ。空き家は物騒だし美観も損ねる。低所得の外国人労働者が不法占拠するかもしれない。かつて日本にはなかった問題が起こるだろう。空き家問題は都市にとって大きな課題。同様に今ある都市インフラの余剰をどう活用するかもテーマになる。住宅産業の問題が都市政策にまで影響を与える。それが都市政策にも影響する。

現在に接続する未来

冒頭でも述べたように、これまでの私たちの発展や革新は前の世代を否定することから始まっていた。欧米では、前衛的な建築家や美術家は過去を否定するが、多くの市民はコンサバティブで、そのおかげで歴史的な環境が連続しえたと言える。一方、日本は建築家や美術家でなくても、誰もがみな革新的だった。それが日本の原動力でもあったが、それによって歴史や文化の連続性が断ち切られた。しかし今後、今あるモノに「未来を接続する」という態度が生まれてくると、これまでになかった文化的側面が見えてくると思う。日本では寺院がコンビニエンスストアより多い。しかし寺は、檀家が少なくなり、人々の信仰心が薄れ、仏教界の怠慢もあり危機に瀕している。お寺という建造物が消えようとしているのだ。お寺は日本の風景のコアにある建物だ。同様に大正昭和に建てられた民家が固定資産税を払うことができず、消えようとしている。単に進歩や革新のために古い建物を壊すのではなく、別の理由からも伝統が断ち切られようとしている。今私たちは、お寺をコミュニティサービスの拠点にできないかと検討してる。

ファイバーシティ

ファイバーシティ

私たちは2005年に東京の改造計画「ファイバーシティ」(http://www.fibercity2050.net/)を発表した。現在、ウェブ上で公開されているのだが、その中で首都高の活用を提案している。もし東京に神戸淡路大震災と同様の震災があると、神戸以上のダメージが予想されている。そこで私たちは首都高に注目した。もし災害時に道路が寸断されると、自衛隊の救援は空路の選択肢しかないし、帰宅難民の問題も首都機能喪失の問題も解決できない。だが、外環道と圏央道や首都高の中央環状線が完成すると、都心部に車両が流入しなくても物流がさばけるようになる。その上、人口が減少するので首都高全体でも通行量が減少するだろう。そこで首都高の一レーンを災害救援道路にして、残りを歩行者や軽車両用の道路にする計画を考えた。東京は大都市なのに都市的な名所が貧弱で、商業的開発の買い物空間が多い。東京のスケール感が感じられるような歩行空間がない。それが首都高で実現できる。さらにそこを緑化すると、環状線の中だけで新宿御苑二つ分の公園が実現できる計算になる。東京は大都市なのに都市的な名所が貧弱で、商業的開発の買い物空間が多い。東京のスケール感が感じられるような歩行空間がない。それが首都高で実現できる。さらにそこを緑化すると、環状線の中だけで新宿中央公園二つ分の公園が実現できる計算になる。首都高のストラクチュアを使い地域冷暖房も可能だ。地域冷暖房は高効率だが、新規物件でやらない限り、地下共同溝の工事費が大きく採算が合わない。しかし首都高上にパイプを配して、高架下にプラントを造れば非常にローコストで地域冷暖房が実現できるはずだ。1960年代にアーキグラムによって提案された「プラグインシティ」のように、首都高上のパイプと建物を接続するとエネルギーが供給されるシステムをつくることができる。首都高は景観を害しているので壊してしまえ、というのではなく、首都高を東京の地形の一つと捉え、そこを活用して新しい東京をつくれば真の未来都市ができあがる可能性がある。

8.コンストラクション・ビジネスへからオペレーション・ビジネスへ

ある世代の人々は古い「コミュニティ」を否定してきた。地方都市は因習的な生活があり封建的であり、都会にはそれから解放された自由があるという観念が、人々を大都市(東京)に向かわせた。それが日本の近代化を進めてきたと見ることもできる。だから都市では人々は地域的なつながりを否定してきた。一度壊したものを再生するのは難しい。会社を定年退職した高齢者は地域社会にカムアウトすることが難しく、「さみしい社会」になっても、その中で成す術なくさみしく暮らす可能性が高い。シェアハウスはあってもシェアハウスを住みこなせる人は少ないのだ。だから住みこなすためのサービスを付加して提供しなければならない。まわりに遊んでくれる人も必要になるだろう。「コンストラクションビジネスからオペレーションビジネスへ」とはそういうことだ。この視点でリノベーションを考えるなら、「どう暮らすか」というノウハウ付きのリフォームが産業になる可能性もある。

9.ほどほどの機能水準、(特に公的)サービス水準

9.ほどほどの機能水準、(特に公的)サービス水準

日本が発展するに従い公的サービスの水準も上昇してきた。それに伴い人々の要求水準も上がっている。昔はあるレベルで成立したものが、今では要求水準が上がり成立しえない例は多い。一方で日本の富は頭打ちで、これからは世界の資源使用量も頭打ちの時代になり、「ほどほど」に満足することを受け入れるコンセンサスを得ることを考える必要が生まれるだろう。例えば公共サービスを自治体間でシェアする考え方。ほとんどの人は歯科は予約で通院するので、毎日開いている必要はない。そこでクルマにサービス(歯科)のコンテンツを搭載して、クルマがある建物に入ることで、その時だけ建物がその機能(歯科医院)になり、翌日にはまた別の公共サービスの機能が組み込まれ、歯科のサービスは隣の自治体の建物に移動する。建物とクルマはゲーム機とゲームソフトの関係と同じだ。複数の自治体で複数の公共サービスをシェアすることで、ある町の住民から見ると、公共サービスがゼロにはならないけれど、一応(ほどほどの水準で)享受できて、シェアすることで運営コストの負担を軽減することもできる。そういう「ほどほど」のアイデアも求められるようになるだろう。
21世紀の都市では、これまで私たちが経験し、当たり前だと信じてきた思考を変えざるをえない社会になるはずだ。もし日本がそこに解決方法を生み出せれば、日本の社会は今後、後発の国々が遭遇するであろう問題の解決の手本になるだろう。日本が新しい知的センターを担う可能性があるのだ。それを考える機会が今、東京には与えられているのだと思う。まず、20世紀型の産業構造を延命する努力をできるだけ早く止めないと、私たちが活用すべき資源そのものが失われてしまうのだ。

縮退する
東京の未来像について

大野氏による縮小に成功した社会は未来のヘゲモニーを握ることができるというのは大きな示唆である。20世紀型の効率社会では、ダイナミックなスクラップアンドビルドが未来創造であり、縮小のコントロールに未来があることをリアルに考えてこなかった。既にあるモノを生かして、インフィルを「たこ焼き」をひっくり返すように地道に変えていくと新しい需要が生まれる可能性がある。しかも、縮小へポジティブに踏み出すことで面白い社会が実現できる。ゼロからつくり出す都市ではなく、既にあるモノにどのような価値を「見立て」るかである。この後、企業も含めて意見交換が行われた。

終わりに|原研哉

これまでは、30代の子育て世代が最初の住まいを求める時にどういう家がふさわしいのかという「家のかたち」を考えていた。今は、貯蓄も多く経験も豊富な私たちの世代のために、貯蓄や知恵を引き出す市場や商材を考える上で、具体的な「家のかたち」のあり方や、具体的な商品を示すことが有用だと思う。高齢者は単身世帯になり、それが世帯の大多数となる時代に、これまでのLDKの考え方とは違う、個別の「かたち」をリファレンスさせていかないと、自分がどんな暮らしをしたいかという欲求の所在に気づかないのではないか。
老人という呼び名にはネガティブなイメージがあるが、トレンド分析で知られる友人のリー・エーデルコートは、老人は(流行の)シナリオを描けると言い、例えばミック・ジャガーはシナリオを描けると語ってくれた。彼の格好良さは若者には表現できない。彼のスタイルには若さとは違う価値が顕在化される。しかし日本のマーケットは若さこそ価値で、シルバー世代の家は手すりだらけのつまらないものしか想像できないのが現状だ。実際はそうではないことを、ミック・ジャガーは体現している。この研究会では、そうした、これまで気づかなかった可能性も探り出したい。

この研究会の4日後、東日本大震災がおこった。

文責=紫牟田伸子