HOUSE VISION研究会報告|中国
第1回「アジアの『住まいの未来』を考える」2011年12月22日(木)

HOUSE VISIONの第1回中国研究会が開催された。中国から、清華大学建築学院の周燕民教授、中国社会科学院の劉志明氏のプレゼンテーション、日本から原研哉、東京大学総合地球環境学研究所の村松伸教授がプレゼンテーションを行い、参加者の中国建築装飾雑誌・居住装飾雑誌の王永強氏、中国建築装飾協会の高世彦氏、恵達公司の藺志傑氏、李宏武氏、北京で設計事務所を開設している松原弘典氏、経済産業省クールジャパン室の谷査恵子氏らを交えてディスカッションが行われた。

【中国研究会概要】 事務局・中国:孫群(北京デザインウィーク副ディレクター)/事務局・日本:楊帆、鄧宇(日本デザインセンター北京事務所)、青山周平(北京在住建築家)/参加建築家:張永和、王昀、王輝、梁井宇、周燕珉など/参加企業および候補:万科集団がメインスポンサーとなる。/研究会開催場所:北京、上海、深圳

周 燕民
周 燕民 Yanmin ZHOU
精華大学建築学院教授
中国清華大学建築学部卒業 修士。1988年より東京大学で研修ののち、曽根幸一環境設計事務所、黒川紀章建築都市設計事務所、日建設計などで主に公共建築設計、住宅やインテリアデザインなどに従事し、10を越すプロジェクトに参加。1995年帰国後、現職に就く。また2000年9月より約半年間、新潟大学建築工学科にて助教授として、修士課程の一環として《中日住宅の比較》について教鞭を執っている。これまで建築関係の著書も多く執筆している他、数々の建築プロジェクトに参加している。

1950年以降の中国における住宅の変遷

次に中国における住宅のプロトタイプ研究をされている周燕民教授から「中国のここ50年の間取りの変化」についてのプレゼンテーションが行われた。発表の趣旨は次のとおりである。「中国では50年代の共同トイレ・共同キッチンの暮らしを経て、70年代に一世帯あたりに生活空間が集約されるようになり、80年代に標準住宅がつくられ小さな応接間やダイニングルームがつくられはじめ、家電製品も普及してくる。90年代になって、みんなで食事をしたり集まっておしゃべりをするようなリビングの空間が生まれ、寝室も独立するようになる。住宅の変化にとっては1987年がひとつの節目。いわゆる商業住宅(分譲住宅)ができるようになった年である。もうひとつの節目は1998年。快適性、個性が重視されるようになり、さまざまなかたちの住宅が供給されるようになり、住宅が大きく変化した。一方で2003年より価格が高騰しはじめ、逆に買いやすい値段の小型の住宅がないことから2006年には、住宅の小型化と内装付き住宅への転換が政府から指示されている。そもそも中国ではほとんどの住宅がスケルトンで販売されているのが現状で、住宅を買ってから購入者が内装を行う。ひとりひとりの個性が発揮されるという点ではたいへんよいが、一方で工事の騒音問題が起こっているのである。現在の中国の住宅には4つのタイプがあり、ひとつは賃貸住宅、ふたつめは公団住宅、3つめは経済適用型住宅(商業住宅)、そして価格限定の住宅である。それぞれ所得層のレベルが異なっている。またタウンハウス型の住宅もある。交渉の住宅では、板式住宅といわれる南北に窓があいた風通しの良い家が好まれている。それを多用したタワー式と呼ばれる住宅もある。中国と日本では好まれる住宅のデザインには大きな違いがあるし、窓の位置や緑化区域などの規制も異なる。また、中国では土地が国有であるために、幼稚園や商業施設なども含んだ大規模開発が容易だということは大きなメリットだが、土地の使い方が日本に比べて大雑把だともいえる。2006年から行政が推進している内装付き住宅についても、個々人が買ってから内装を行う習慣があるため、なかなかまだ普及しないし、デベロッパー側の工事の精度やアフターサービスなどの整備もまだ不十分だ。ただ、これから日本のような内装付き住宅が増えていくことは確実である。この10年で3600万世帯の住宅をつくっていかなければならない。精密度の高い設計を行っていくために、日本の経験を学んでいきたいと思う」。

テクノロジーによって日常生活が変る

このプレゼンテーションを受けて、原研哉より、日本の高機能繊維の機能を新たなデザインとして展示した展覧会「SENSEWARE展」の説明が行われ、高度な機能をデザインによって日常生活の中にとけ込ませていくことがつねに重要であり、ハイテクであることを住宅にも積極的に取り入れることも含めて、日本の住宅も変化していかなければならない状況が説明された。また、日本においては逆にスケルトンとインフィルを分けて考えることがいままでなかった。人口が減り始めて余剰となる空間をフルリノベーションする気運も高まっており、来年以降、新しい家のあり方を考える展覧会を中国でも開催する予定である旨が述べられた。

村松 伸
村松 伸 Shin Muramatsu
総合地球学研究所教授
総合地球環境研究所・教授。東京大学生産技術研究所教授(兼務)。アジア都市・建築史、都市リテラシイ開発学。1954年静岡県生まれ。東京大学建築学科卒業後、中国清華大学、ソウル大学等に留学。主著:『中国建築留学記』『上海—都市と建築』『アジア建築研究』『中華中毒』等。

アジアならではの特性を活かした暮らしの未来を考えること

休憩をはさんで、次に村松伸教授よりアジアの巨大都市における居住の未来を構築するための研究についての概要が述べられた。ジャカルタを中心にした研究調査の概要とともに、「アジアの都市は急激な経済発展、急激な都市化が進み、地球環境負荷の増大が起きつつある。しかし歴史的毛色が異なるため、欧米型の対処方法では、地球温暖化によるローカルな環境への影響を軽減しがたい。そこで土地の環境特性を活かしたライフスタイルを援用することで、地球環境によりよく貢献し、なおかつ都市に住む人々の生活の向上をいかに行うか----このふたつをつなぎあわせる手だてとしてデザインの力があると考えている。都市で集まって住むときの不具合を長い間調整してきたのは、都市内集落型だとわれわれは考えている。古いまちを研究し、そこから新しい住宅を考えることをもっと行っていく必要があるだろう。デザインの力とは、実態を知り、なにが起こっているのか、そしてなにをしたらいいのかを考え、未来を作り出す力だと考えている」と述べた。

劉 志明
劉 志明 Chihming LIU
中国社会科学院調査センター
1986年7月中国人民大学新聞学院修士修了後、新聞学院助手、講師。1989年10月から1991年10月まで一橋大学にて研究員。1995年4月から1997年3月まで神戸大学にて助教授として教鞭を執っていた。1998年8月より中国社会科学院にて新聞に関する研究に従事。現在、媒体調査センター主任。

中国と日本の恊働にあたって

続いて、社会科学院調査センター所長劉志明氏は、住宅における中日の連携は、物事の考え方認知の違いをよく知ることであり、理解を促進することであると述べた。また、中国の住宅建築に関しては、毎年1000万件が着工され、その中の分譲マンションは800件あり、世界の新規着工住宅の半分は中国でつくられている。そして、「中国は実に大きな市場であるが、あまりにも短期間の経済成長による異例の出来事だと思っている。これからますますスピードが早く、クオリティが高くなっていくと思われるので、新型の省エネ、新素材など日本の技術、これまでの日本の経験がたいへん参考になると思う。しかしこれからの大きなビジネスチャンスを本当に成果として出せるかどうかについて、私は決して楽観しているわけではない。中日は多くの分野でこれまで提携してきたが困難を伴ってきた。中日のパートナーシップは非常にむずかしい。文化的な共通点はひじょうに多いのだが、ディテールにおいて中国と欧米以上の差がある。アプローチにも差がある。日本のスタイルや手法をそのまま持ってきても中国では通用しない。中国の変化をどう理解するかは数字ではわからないものだ。やはりセンスやフィーリングが大事だと思う。私たちは2009年から“中国住宅産業化フォーラム”を開催しており、その当初の目的は日中交流の場をつくることだった。私たちはより深いレベルで協力を押し進めていきたいと考えている」と述べた。

今後も連携を続けていきたい

最後に、大都市に流入する若者向けの住宅のニーズや、中国においても大きな問題となっている高齢者の問題、補償住宅の設計と標準化等の課題について質疑応答が行われた。日本ではライフスタイルが個人に還元され多様化している状況があり、一方で中国では切迫した住宅ニーズにおける早急な対応が求められている。参加者からも「これまでも日中で意見交換をしてきたが、まだ日本の現状における問題点や先進的な技術がどこにあるかがまだわからない。中国の部品と技術はまだばらばらだという問題は顕在化しており、3600戸の住宅をつくっていくためには産業化がなければ保証できないという課題もある。日本の技術の力で、中国市場の問題を解決できると思う。問題点がなにかを指摘してほしいと思う」(高世彦氏)「HOUSE VISIONということがアジアが個性を持つと同時に共通性も共有し、国の境を突破して、一緒になって成し遂げていきたい」(王望敏氏)という意見があった。また、次回の研究会にはデベロッパーの方々もぜひ加わって欲しい旨の要望が中国側からも出た。日中交流を深めていく場としてさらに発展していくことを確認して、研究会は終了した。

文責=紫牟田伸子