運動する未来
未来を運動させてみましょう。「だったりして」と仮想してみるのです。それが的中するかどうかは問題ではありません。どんな精密な予測をたてても、人々はそういう風には未来を作れません。未来は予想通りに実現するものではなく、欲望と希求のせめぎ合いで出来上がってしまうものだからです。薔薇色の未来はその通りには来ず、データに基づく容赦ない予測も、それを回避しようとする心理が強く働き、現実はそこから逃れていきます。
日本はしばらく人口縮退と高齢化のデータに翻弄されてきました。人口や年齢動態は予定された現実ですが、そこから導かれる幸福の度合いは未知数です。幸福感は経済指標で測られるのではなく、意欲と充足感から生まれる心の張りのようなものですから、予定された現実にどのような動的な未来を構想できるかが肝要ではないでしょうか。
高度成長の延長に経済を走らせてきた日本ですが、そろそろ別の歩き方を考え始めなくてはなりません。「もの」を生産することで経済を成り立たせてきた経験はそのままに、「価値」を生み出す仕組みに眼を凝らさなくてはなりません。何が資源で、どのような技術優位を持ち、そこにいかなる「価値」を生み出していけるかをリアルに考えなくてはなりません。
ここではいくつかの予見をもとに未来を仮想してみます。そうすることによって私たちの頭の中にある未来を運動させ、意外な活性を招来できるかもしれません。予測された数値に未来を寄り添わせるのではなく、よりアクティブに運動させていく先に、心ときめく未来が息づいてくるはずです。
HOUSE VISIONは、様々な産業の交差点に「家」を構想してみるプロジェクトです。未来産業をアクティブに想像してみることで、交差点としての家の姿も面白く見えてくると思いますが、いかがでしょうか。