原研哉ブログ
「家はどこにあるのか?」

第7回

再来するHOUSE VISION

最初の展覧会を終えて

HOUSE VISION 2 2016東京展が開会された。この時点で、考えたことを記しておきたいと思う。HOUSE VISIONの目的は、潜在している未来を目に見える形にしてみることであり、そこに見えたことから、僕たちは思考を前に進めないといけない。
少子高齢化や過疎の問題は、日本が直面する厳しい問題である。人口減少は、産業の趨勢にも大きな影を落とすことになるだろう。しかしながら、大事なことはそこにいかに幸せや誇りの種子を見出していくかという能動性である。ヨットは風向きが進行方向と真逆でも、潮流や風を上手に利用しながら、ジグザグに、それでも前に進む。人口減少や、インバウンドの急増などは環境の「運動」であり「変化」である。要は「運動と変化」を、エネルギーを得る糧として利用し、どのように前に進むかを考えなくてはならない。

地域の人口減少は、構造的な問題が基底にある。高校を卒業すると、都市にある大学で学ぶために、若い世代が都市へと移動し、希望する所得に見合う仕事の見つからない地域に大学卒業後の若者は帰ってこない。地域が人を取り戻すためには、都市で働くよりも、より多くの収入の見込める事業を生み出していく意欲を、地域に生み出していくしかない。どうしたら、地域に高収益を生み出す事業を起こせるか。ここに地域の活性の問題が集約されている。

日本は、世界の様々な地域が、その土地の産品に工夫を重ねて生み出した「価値」を理解して消費することは上手い。しかし自らが生み出すものをより高い価値として表現することが下手である。フランスのボルドーワインやスペインのイベリコ豚、イタリアのハモンセラーノや、スイスの機械式時計など、付加価値の高いものを好んで消費する。しかし、丹精込めて生産される日本酒は、大容量の一升瓶でも一万円を超えるものは少ない。丹精して作った米も、茶碗一杯25円から50円程度という安価な価格で流通している。
高価な価格を歓迎する層は日本にも世界にもいる。資本主義が生み出す所得の格差を是認するようで片腹痛いが、そういう社会に生きている以上、そして日本の地域産業が疲弊している現状を考えるなら、高額な価格を喜んで受け入れる人々に「欲しい」と言わせる商品を作り出す挑戦をするべきではないかと思う。
これを一義的に「ブランディング」という、魔法の言葉でくくってしまうと、筋道がむしろ分かりにくくなってしまうが、地道に丁寧に、細かい皺を伸ばすように、自分たちが築いてきた価値を積み上げ、それを飛躍させていく周到な戦略が必要になる。
トークセッションに中田英寿氏※に来ていただいた。中田氏は日本酒の海外戦略に携わっていて、750ml入で1本10数万円の酒を開発し、販売を始めているそうだ。高価格を提示するにはもちろん、丁寧に工夫を重ねていく必要があるが「価値」あるいは「価格」に関する感覚の目盛りを再調整することも肝要であると、対談から学んだ。

一方で、日本人は、日本のものづくりの圧倒的な水準に気づいていない。世界をくまなく探せば、素晴らしい手仕事に出会えるかもしれないという幻想がある。もちろん、世界には異国情緒に溢れた魅力的な産物は数多あるが、日本の職人の仕事ほどの洗練と深み、完成度を持つ物品は稀である。千数百年の間、ひとつの国であり続けた文化の厚みこそ、巨大で、しかもまだまだ可能性のある「未来資源」である。
今回のHOUSE VISIONでは、Airbnbと無印良品が、地域の問題に焦点を当てていた。 次回のブログでこの点を詳細に語ってみたい。

※サッカー元日本代表であり、現在は一般財団法人TAKE ACTION FOUNDATIONを立ち上げ、日本の文化を広めている。