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外部と内部がつながる
南国の建築

アンドラ・マティン(インドネシア)

建築家取材 | 2015.11.16

外部と内部がつながる南国の建築

アンドラ・マティンはインドネシアで今最も影響力がある建築家の一人といわれる。国内外のメディアに露出するほか、旧市街の改修計画など、注目プロジェクトに携わる。これまでカフェやギャラリー、住宅などの作品が多かったが、現在はジャワ島東部に空港の設計など大規模なプロジェクトも進んでいる。
 彼の代表作が自邸だ。リビングと子ども部屋がある母屋と、自身の寝室がある離れで構成され、どちらもコンクリート打ち放しの四角い平面で構成される。寝室への廊下には屋根がなく、リビングも壁はなく吹きさらしで、雨の日には中まで吹き込んでくる。「雨の日は傘をさせばいい」といい、リビングでの生活は外から丸見えで、ほとんど外で生活しているように感じられる。
 彼の関心はこうした外部の環境といかに心地良く住むか、光や風などをどう中に取り込むかだ。ただ、通常の建築は壁を作らないわけにはいかないので、彼はよくコンクリートブロックを使用する。施工が荒いインドネシアでも小さなブロックを丁寧に作ることで、質を担保し、光と風をコントロールすることができる。2008年に建設されたコムニタス・サリハラなどに、この試みを見ることができる。壁面全体にコンクリートブロックを使用し、オフィスビルの室内は明るく、風も通り心地よい。
 こうした心地良さを設計する際に、アンドラは「バランス」を重要視しているという。閉じられた部屋がある一方、外部に解放されたリビングがある。それぞれがフラットな構成ではなく、そのときの気分に合わせて居場所が変えられるような建築を心がけている。日本は四季があり、冬の寒さがどこも厳しいため、機密性が求められる。アンドラのように、開く時は思いっきり解放的にする取り組みはインドネシア独自の気候があるからこそ可能となるものだろう。
 作品にコンクリートを多く使っているのは日差しが強く、雨も多い、さらに排気ガスなどで汚れやすいインドネシアの環境を考慮してのことだ。また、コンクリートも日本のようにきれいに打たれたものではなく、ところどころに穴が空き、荒さが目立つ。アンドラは「安藤忠雄などのきれいなコンクリートはすばらしいが、インドネシアではそうはならない。日本と同じものを目指すのは間違いで、インドネシアはインドネシアの形を目指せばいい」と感じている。これが、彼の作品の大らかさを一つ表現している。
 アンドラ・マティンはジャカルタから150キロほど離れた西ジャワ州バンドン市のパラヒャンガン大学を卒業。学生のころはル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトなどを参照していたが、卒業後は同じアジアの建築家として、日本に注目し始めた。自身も作風に安藤忠雄など、日本の建築の影響があることを意識する。「kosong tapi ada isi(何もない、が、中身がある)」という印象に強い影響を受けているという。
 インドネシアで注目を集める建築家たちの多くはアジア通貨危機前後に独立している。経済が好調だったころにインドネシアの建築家の需要が増加する中で、当時30代中頃だったアンドラたちは「インドネシア建築のアイデンティティとは何か」と自問を始めた。アンドラは、アフマッド・ジュハラなど現在のインドネシア建築家たちがインドネシア建築の個性を探し求め、結成した「インドネシア若手建築家集団(AMI)」の創立メンバーの一人だ。アンドラ自身は現在、インドネシアの個性はまだ発見している最中だというが、「気候や地域から与えられたものを生かし、エネルギー負荷がない建築ではないか」と感じ始めている。
 アンドラは建築を作りながら、インドネシア、特にジャカルタのような大都市の変化に昔から大事にされてきたコミュニティ間のつながりがなくなっていることに危惧をいだく。家族構成が昔のように大家族ではなくなり、核家族化している。地方ではまだ残っているといわれるが、大都市周辺ではそれまでのコミュニティがなくなり、新しい家は塀を高くし近隣に対し閉じられる傾向がある。アンドラは「デベロッパーの開発が早く、コミュニティーベースで作っていないことが問題ではないか」と指摘する。自邸のように外にリビングを開いているのは彼の意識が外部に向いているからだ。外部に解放される建築はコミュニティとの関係なしには作ることが難しい。建築家たちが南国の気候の中で心地良いと思える空間をつくる時に、建築だけでなく、周囲の関係性の構築も求められるのだろう。

Author: 高橋佳久

アンドラ・マティン自邸

アンドラ・マティン自邸
子ども部屋