HOUSE VISION研究会報告|日本
第4回「新しい常識とコミュニティ」2011年5月24日(火)

「3.11以前と以降では、日本の覚悟も変わってきた。これを機にぜひとも住宅、暮らしのなかの新しい意識を呼び起こしていくような運動を進めたい」という原研哉の挨拶から始まった第4回研究会。震災を経験し、人や地域との繋がりの重要性が再び深く認識されるなかで、一人ひとりが快適に暮らしていくためのコミュニティについて、さまざまな立場の7名に話を聞いた。

「新しい常識とコミュニティ」にあたって|原研哉


HOUSE VISIONは、単に家や生活機器のきれいなかたちを提案するのではなく「欲望のエデュケーション」ということをやっていきたいと考えている。
前回、隈研吾さんが話してくれたように、日本の住宅建築には優れた伝統がある。単に秩序だっているだけではなく、障子の開け閉てや立ち方座り方、つまり「躾けられた身体」と「住空間」をどう向き合わせるかという意識の積み重ねが、「住まいのかたち」を育んできた。つまり躾けられた身体と建築秩序とが交差するところに、上質な日本の建築の佇まいが表現されてきたということである。現代はそういうものを少しずつ失ってきているわけだが、それを取り戻すことも考えたい。ただ素敵な住宅があるというだけではなく、今日の日本人がどう「住まい」を作っていくのか、住まい手の主体性や意識を覚醒させながら市場を活性させていく、つまり「住む意欲」のエデュケーションがHOUSE VISIONのひとつの大きな指針でもあるのだ。
今回のテーマであるコミュニティは、今日とてもデリケートな課題であり、避けて通りたいような難問かもしれないが、住まい手の意欲と同じように、住環境を共有する人々の意識にも向き合わなくてはならない。住まい手の意識改革と同じような意味で、コミュニティの問題についても勉強してみたい。

曽我部 昌史
曽我部 昌史 Masashi Sogabe
建築家・神奈川大学工学部建築学科教授・みかんぐみ共同主宰
1962年福岡県大牟田市生まれ。1988年東京工業大学大学院修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所を経て1995年みかんぐみ共同設立。2001~06年東京藝術大 学先端芸術表現科助教授、2006年~神奈川大学工学部建築学科教授。主な作品に「NHK長野放送会館」(1995)、「八代の保育園」(2001)、「北京建外SOHO低層商業棟」(2003)、「2005年日本国際博覧会トヨタグループ館」(2005)、「伊那東小学校」(2009)、「横浜開港博Y150・はじまりの森」(2009)、「あかね台中学校」(2011)など

人口が減り、高齢化し、
消費が減る時代

人口が減り、高齢化して、商品が変化していく時代というのに興味がある。建築家の仕事などもう無いと言われるが、私は疑っている。明治以降の日本の人口のグラフを見ると(※グラフ画像)、昭和元年から今日までおよそ85年間に約6千万人だった人口が、1億3千万人近くをピークとして減り始めている。そして2100年、さらに85年後に、また6千万人くらいになる。倍になって半分に戻る。人口増加は、社会の仕組みがうまく整備されたことや、産業界が頑張ったことが理由ではない。多産多死から少産少死に至るプロセスのなかで、なかばあたり前に人口が増え、それに対応して政府設計による建築基準法ができ、ゼネコンやデベロッパーといった産業の仕組みが開発されていったのだ。人口が増えるのに合わせてうまい具合に設計されたということは、この先、人口が減ると、その下降角度にあわせて産業も政府設計も様々な業界の仕組みも設計し直さないといけない。
人口減少が進んでいる状況だと、何か提案をしても、「売れない」「流行っていない」と言われ、だいたいは諦めるしかない。しかし大きく変わるとは、先が読めないということだ。この変革期は我々のような、提案したくて仕方ない人達にとっては最もクリエイティビティが発揮しやすい時代と考えてもいいのではないか。
日本だけでなく、ヨーロッパの全体の人口も同じように減っている。実は中国も、30年くらいのギャップはあるが、人口は減るそうだ。減るのが必然ならばそれを前提に考えようという風に変わってきており、そこから何をするかが問題である。大雑把に考えると、人口が減れば1人あたりのインフラや建物はだんだん増えていく。するとそのリソースのリサイクルのしかたを考える、というのがひとつの方法だと思う。リソースは物理的なものだけではなく、人材や歴史など、すべてのリサイクルを考えたいと思っている。

リソースをリサイクルする、
4つのキーワード

まちのリソースをリサイクルするという意味では、この4つのキーワードを前提に考えていきたい。

1. 空間が用途を引き寄せる。

現在、現代美術のために使われているスペースで、もとは銭湯やSOHO、小学校などであり、美術のために設計された空間ではないものがある。ロンドンのテート・モダンは、もと発電所。7層吹き抜けのターキンホールという展示室が美術館のひとつの目玉だが、7層の吹き抜けというスペースは、最初から美術館を設計しようと思ったら絶対につくらない。経済的にも無用であるし、そんな高さのある作品はないから、という話になる。しかしここでは毎年かなり大きな注目を集める展示が行われている。リノベーションと言っても、ストックを有効活用といった矮小化した問題ではなく、最初に空間があるからこそこんなことが思いつけた、というようなことに接近したい。

2. セルフビルドだから気がつくこと。

あらかじめある建物や場所を使うということは、自分たちでつくる場面が増えるということだ。新潟の十日町にある古い農家をサマースクールに変えるプロジェクトを、学生達とセルフビルドでおこなった。解体で排出される様々な木材や、外にある池、浄化槽を埋める際の残土の消化など、施行プロセスのなかで様々な問題が増えていった。そこで残土を小山のようにして、上に小さな露天風呂をつくった。廃材を燃やしてお湯を沸かしお風呂に入り、下ではきれいに片付けた池に入ってゆっくりできる。サマースクールのプロジェクトがいつのまにか豊かなお風呂空間のあるものに変わっていく、そういうこともいいと思う。

3. 見立ての技術

ものの使い方をどう見立てるか。以前、アーティストの中村政人さんが秋葉原の電気街のテレビ売り場にあまりにも大量のモニターが置いてあるのを見て、メディアアートの展覧会をやるとおもしろいのではないかと考えた。そして秋葉原の電気街をたくさんつないだ、巨大なメディアアートの展覧会が15年くらい前に開催された。こういった見立てもある。

4.機能的、経済的を疑う

これはなかなか疑いにくいところもあるが、実際に疑っている人というのは、たとえば南から北まで地方の街で、若いアーティストの人達が一見しょうもない建物を固定巣として、様々なおもしろい活動を行っている。経済的なことや利欲的なことを考えていては思い至らないようなことが生み出せている、というプロジェクトだ。

寿公園プロジェクト

私の研究室がある横浜には日本三大ドヤ街のひとつ、寿町がある。いわゆる都市の整備から無視されてきて、何十年か前の日本の雰囲気が残っている。横浜の都心部近くの、250m×300mという非常に小さなエリアだが、この中と外では環境や雰囲気がまったく違う。昔の日雇い労働者が住んでいたドヤ(簡易宿泊所)に今も6500人の人が住んでおり、98パーセントが単身男性、そのほとんどが生活保護を受けている。昔は労働者の街だったが、現状は身寄りの無い単身のおじちゃんたちの街だ。部屋は三畳一間、共同キッチンも最低限、外履きのまま部屋まで行くので、ドヤの中にはほとんど公共スペースがない。

研究室では、寿町全体の整備にかなり深く関わっている。エリア内にある、炊き出しや越冬闘争、フリーマーケット、子供たちの遊び場にと使われてきた唯一の公園に、ジャングルジムやオブジェのような見た目で、使ってみると実は便利で、テントもかけられる、というものを設計することになった。そして一期工事の完了後、見た目はジャングルジムだが(※写真)多目的に使えるものが出来た。炊き出しで洗い場になる場所は、洗い桶を乗せるとちょうどいい高さになり、側溝が下にあって水道までついている。もちろん遊具にもなる。
だがその後、「寿公園のこどもたちの使う姿をイメージしていない押し着せデザインの改悪に反対します」という、ショッキングな内容の張り紙が出た。関係する全ての団体と話し合ったつもりだったが、街の人の好意でややこしい人が外されていたのだ。そこで二期の施行時期を大きくずらし、反対者も交えて修正をすることにした。可能な限り全部を含み込もうとした。こども達がやりたがったサッカーも迷惑なくできるように設計変更し、二期工事ができた。簡単なメッシュを取り付け、サッカーボールは外に飛び出させない。隣にはドヤがあり、そのコンクリート塀にボールが当たるとすごい音がするため、タイヤのチップを固めたクッション材をつけた。さらにチョークで絵が描けるようにし、アーティストに「ことぶきんちゃん」というキャラクターの絵も描いてもらった。テントも張れる。オープンしたところかなり受け入れられ、街の一部として活用され始めた。すると今度は「アートが生活よりも優先され、寿に集い遊ぶこども達の姿をイメージしない、そんな公園づくりがなされないよう、私たちは監視を続けます」という張り紙が…彼らは戦う気満々で、賛同者も増やしており大変な道のりが待っているが、我々はこういう人達と戦わないようにしよう、一緒にやろうというふうに思っている。

家づくりをとりまく
言葉の変化

弊社の中心事業はリノベーションだ。この20年のマンションバブルの間に多くの企業社宅が壊され、新築マンションに変わっていく姿を見て、これをもっと活用し、ユーザーにとって良いものができないかというのが、発想の原点だった。
もともと住宅関連の事業に約20年携わり、コーポラティブハウス、リノベーション住宅、新築分譲マンションも含めて、いろいろなプロジェクトをつくりあげてきた。大量供給時代にマンション営業マンが使っていた言葉や、広告で飛び交っていた言葉には、新築、注文住宅、システムキッチン、セキュリティ、LDKなどがあったが、どれも供給サイドがつくりあげた言葉だ。ユーザーにとっての価値や本質はなく、大量供給するうえで価値をわかりやすく説明するための言葉だった。これにどこか疑問を感じながら、実際にマンションなどを販売していた。
昨今、人口減少の時代に入り、まさにレベルマーケットと言われる中で、新しく出てきた言葉に、シェアハウス、太陽光、リノベーション、コミュニティ、郊外生活などがある。これらを見ると、「家を買う」から、リノベーションなどを通して「家をつくる」という視点に少しずつ、特に20代の方々は大きく価値転換がされてきていると感じる。これらのキーワードは、ユーザーが価値として感じる言葉で、どれもわりと手間がかかり、いわゆるオペレーションが必要なことだ。ユーザーに対して何ができるのかを、今まさに考えなくてはいけない。要はハードウェアで供給していては駄目な時代に入ったといえるのではないか。

コミュニティを育成する

我々が考える一棟リノベーションとは、企業社宅などを買い、徹底的な調査・診断のうえ改修を施し、機能のバリューアップを加え、コミュニティを創りだすことで価値を高める仕組みだ。昨年グッドデザイン賞も受賞し、ようやくリノベーション自体が少し社会的に評価されてきたと思う。この6年間で17棟、560戸を再生した。住みやすい家をつくるうえで、文化的視点、物質的視点、機能的視点という、大きく3つの視点をもって取り組んでいる。文化的な視点とは、歴史と思いをどう繋げていくかということで、そのなかではコミュニティというものを非常に重用視している。これは家の住みやすさのキーワードでもある。とくに震災以降、住宅を購入する要素が変わってきた。職住の隣接や、親戚の近くに住むなど、すべてを含めてコミュニティという視点、人や地域との繋がりがさらに重んじられてきている。これをどうしていくかが、住みやすさを演出するひとつの大きな課題となる。

あるマンションでは、敷地内にあった樹齢100年の森をみんなで再生しようという「森のリノベーション」(※写真)を、我々がコミュニティイベントとして行った。通常デベロッパーとしては、管理コストや危険性の問題から、木は伐採しようと考えるが、あえて再生という方向で、さらに住民を取り込むということを考えた。コミュニティは、空間をつくり集まってなにかやりましょう、というだけでは発展しない。マンションでは、共有の財産をみんなで管理するというひとつの目的をビジョンとし、集まって共感していただく作業を最初に行う。それによって、より愛着をもった住まいに辿り着いていただけるのではないか。 「森のリノベーション」では、アウトデッキをつくり、自然学校の先生を呼び勉強し、みんなで同じものを食べて、共有、共感を得るという作業をした。そのための空間も必要なので、マンション1階の共有廊下の壁を全部取払い、駐輪場スペースとつなげ、長屋の通路のように再生した。縁側のようなかたちがとれ、このマンションのコミュニティの核としてうまく使っていただけている。最近でも物産展や、他のリノベーションマンションの方との交流がおこなわれるなど、非常に良いコミュニティが生まれている。 物質的な視点も当然、住み良さには必要だ。徹底的な調査を行い、あらためて価値をどう空間的に、機能的につくりだすか考える。デザイン的に大幅にリニューアルするだけでは本当の住みやすさというのはできないから。50世帯に対して駐車場が2、3台分しかなく、販売上は大きなネックになるところだが、逆にそれをみんなで共有できるスペースにすることで非常に満足度の高いマンションに生まれ変わった例もある。 これら3つの視点にコミュニティも含めた、持続していく仕組みづくりが、これからの住宅には必要不可欠だ。今のマンション資産は実際のスタイルと資産価値のバランスが非常に悪く、タイム超過になるものが多いが、これらの視点を加えていくことにより、きちんと維持管理をされ、高い評価のものとして持続される。これがまさに理想のストック社会ではないかと感じている。

シェアが安心感を生む

シェア型の住宅は創業当時から実践している。企業が不必要になった独身寮などをうまく活用するという視点から入った。人口変貌のなかで単身者が増え、また4、5年前からソーシャルネットワーキングシステムが広がっていったのは非常に強かった。住宅以外でなにかをシェアしようという動きや、ネット上でのコミュニケーションが積極的に行われたことにヒントを得て、それをリアルに住宅にしてしまえばいいのはと考えたのが、我々のシェアプレイスだ。
主な特徴やメリットは、入居者コミュニケーション、ヒューマンセキュリティ、共用部の充実、初期費用やランニングコストの安さ、すぐに住めることなどがあるが、いちばんの満足度は経済的な部分よりも、そこで得られるコミュニティではないか。それが結果的に、いわゆる機械的につくられたセキュリティではない安心感につながる。今回の震災のとき、ある都心部のマンションではメーリングリストが活発に利用され、住民の安否確認、その後の停電、物質調達など、うまく情報をシェアして乗り越えたという。これは我々が初期にきっかけをつくり、あとは自動的にコミュニティが調整される状況ができたということだ。セキュリティ上の安心感も、コミュニティによって生まれていると改めて実感した。
さらにひとつ例を紹介したい。大手企業の独身寮だったところが解約になり相談を受けた事例で、ドミトリー型、風呂などは共用だ。ここではハードをきれいにするだけでなく、コミュニティデザインをするアイテムをいくつか用意した。入居者のプロフィールブック、周辺のシェアマップ、情報を共用する大きなホワイトボード、ライブラリボックスなど、人と人がつながるきっかけになっている。問題のある入居者がいてトラブルになりかかったが、住人からすぐに通報が入り、通常のワンルームでは得られない問題の早期発見につながったこともあった。人の目が働くという意味で、非常に安心感を持ってお住まいいただいていると感じる。水回りもひとつのコミュニケーションのキーと考え、あえて大型の業務用厨房を活用したり、ボイラー室をシアタールームにして上映会をしたり、玄関ドアに自己紹介を書かせたり、入居パーティなどもおこなっている。
最近ではシェアプレイスがかなり増え、現在9棟543戸あるが、シェアプレイス間でのコミュニティもできてきた。いまの若い人は、我々が思う以上に、会社以外の人と人とのつながりを求めているようだ。彼らは一棟分譲の将来の顧客になる人たちだが、こういう人たちを早い段階からターゲットに見据え、次の住宅はどうあるべきかを今後も考え続けていきたい。

ものづくりのための環境を

私はもともと建築の設計をやっており、大学院でメディアアートを専攻、コミュニケーションデザインに興味を持った。建築で箱をデザインすることと、中の人たちとのコミュニケーションをデザインすることを、ひとつの作品として何かつくれないかと考えていたときに、co-labというクリエイター専用のシェアオフィスに考えが至ったという経緯がある。
co-lab(http://www.co-lab.jp/)は、クリエイターがものづくりをしやすい環境を徹底的に追及したいと考えてつくっている。既存の企業や組織体でも、単の個人でもなく、その中間域である集合体というかたちで働くことを謳っており、現在200人ほどのフリーのクリエイティブ・ワーカーが集まっている。全体としていろいろな企業から仕事を受け、プロジェクト単位でチームを組んで仕事をするというスタイルだ。特にデザインに関しては、グラフィック、ウェブ、建築家、映像作家、プロダクトと、あらゆるジャンルの人間が集まっている。私の肩書きとしてはクリエイティブディレクターと謳っている。クリエイティブディレクターとは通常、平面系のアウトプットを出す方のことを指すが、私は平面からグラフィック、ホームページ、プロダクト、建築、つまり平面から立体、空間まで、投げ込まれた仕事をコーディネートし、ディレクションするという立場でやっている。

co-labはリアルワールドのMAC OS

2003年に森ビルの文化事業部から支援を受けスタートしたプロジェクトだが、すでに400人程のOG、OBがいて、かなり有名なクリエイターも排出している。この場所は例えると、リアルワールドのOSだ。それぞれの職業が「イラストレーター」であり、「フォトショップ」であり、彼らが物理的な箱を利用し、中の人たちがコミュニケーションをつくっていくという仕組みだ。空間は長屋のようなブーススタイルをとっている。電話の話し声やモニター画面はお互いオープンになり、半ば強制的にコミュニケーションがうまれる環境のなかで、互いに興味を持ち合い指摘しあうことによって、独特のコミュニティがうまれている。こういう場所では守秘義務が気になるが、漏洩トラブルも盗難も一度もないのもひとつの特徴だ。現在都内4カ所だが、今後もいろいろなメディアを持ち、学習するための機能、実際にものをつくるための制作環境をさらに充実させ、国内外に展開しネットワーク化して、それぞれの場所も使えるという仕組みに拡大していきたい。
当初は森ビルのアーク都市塾という社会人講座の中に場所を持たせてもらい3年間ほどやっていた。ベランダに工房を設けたり、整然としたビルのなかにアトリエがあったりと、ちょっと変わった空間だ。2005年に千代田区三番町に移動し(※写真)、当時のIDEEアールプロジェクトという会社が事業主となった。あくまでも企画運営会社なので、どこかの会社に事業主になっていただくことで運営をしている。ここでは7年ほど遊休されていた約300坪のビル5フロアを使い、簡単なリノベーションをかけた。天井むき出しで、照明も自分たちでつくっている。ここにも工房やアトリエがあり、都心の一等地で溶接や木工もできる。

昨年2月にできた千駄ヶ谷のco-lab(※写真左上下)は、クリエイターをベースに、社会起業家にも入ってもらったのが特徴だ。約100人の規模で、スタートして1年程だが、100パーセント稼働しながら様々なプロジェクトがうまれている。ビルの名前は「チャリ千駄ヶ谷」。自転車通勤が可能で、屋上に自転車をとめられ、シャワーブースもあり、地下には食堂がついている。建物自体のコンセプトに引きつけられた多くのクリエイターも入っている。部屋貸しもあり、10部屋くらいに、5〜10人の会社が入っている。例えばハビタッド・フォー・ヒューマニティという、ボランティアで家を建てる団体の日本支部に入ってもらい、彼らが発信したいことをクリエイターが、ポスターやホームページ作成などでサポートしている。今回の東日本大震災でもコラボレーションし、お互い何ができるか探るといった交流が常に持たれている。
昨年オープンした西麻布のco-lab/KREI(※写真右上下)は、コクヨファニチャーの支援を受けており、企業と個人のコラボレーションのために何が必要かを考え、守秘義務をどこまでオープンにできるか、できるだけお互いの持っている情報を出し合える環境をつくろうことでスタートした。ビルの3フロアを借り、1階にコクヨのスペース、2階にco-labのブースフロアがある。地下には交流スペースがあり、イベントや会議をなどで交流している。
東京R不動産からは、新島の廃校になった小学校にアーティスト・イン・レジデンスのスペースをつくれないかと声をかけていただき、現在模索中だ。このような都心から離れた場所での活動も考えている。
二子玉川co-labは、今年4月にオープンした。企業60社くらいのコンソシアムスペースのなかにクリエイターが常駐し、そこで起きるいろいろなプロジェクトに意見を出して、潤滑油的なかたちで関わるという仕組みを起動させた。
日本では特に、コミュニティをつくりそれを円滑にまわしていくには、テーマが必要だ。そのテーマも押し付けるのではなく、環境にもとからセッティングされた条件によって、中の人たちが自主的に動く仕組みを設けることで、活性化し続けられると考えている。

コミュニティで仕事をする

co-labでの仕事の投げ込まれかたには大きく2つある。ひとつは各メンバーが自分で仕事を受けてきて、中のメンバーと一緒にチームを組んでやっていくスタイル。もうひとつは、我々のような会社が元請けとなり、中でコーディネートして、プロジェクトをディレクションしていくスタイルだ。
アウトプットとしては、例えば畳協会からの、短すぎて廃棄せざるをえなかった「い草」を使ってプロダクト開発してほしいという依頼があり、フローリング材やヨガマットの開発をした。このプロジェクトにはco-labのメンバー10人くらいで関わっている。また新潟のニット工場からの依頼など、地方の工場が自分でデザインを受注し、自主的に生産して売っていく仕組みのサポートすることもある。秋田の料亭では、現地に10人ほど合宿でミーティングをし、庭や離れのデザイン、そのコンセプトメイキングなど、全てをやらせていただく。西麻布のco-labでは事業主のコクヨさんと商品開発のコンサルティングやカタログのデザイン等をさせていただいたり、他にも恊働でアートプロジェクトなどが行われたり、常にコラボレーションプロジェクトが行われている。 最近ではTEDxTokyoやGreenz.jp、FabLab JAPANさん等に入会いただき、益々ソーシャルな傾向のクリエイティブワークが活性化していくことになるものと思われる。

コミュニティデザイン
という考え方

僕は卒業研究のテーマが寿町だった。35年程前、その指導をいただいたのが黒沢隆という建築家で、僕の師匠だ。彼は個室群住居、近代人は自我が確立して一人ひとりそれぞれ自分の部屋に住むようになる、という主張をした。実際に現代家族や都市生活者を見ていると、一緒に暮らしているようでも皆バラバラにパーソナルに暮らしている気がする。個室群住居という考え方は現代をかなり予見していたのかなと思う。そして僕は当時からずっと、個室群住居を支えるコミュニティ、個室群住居がつくるコミュニティとはなにか、集合住宅あるいは集住体のなかでコミュニティはどうあるべきかを考えてきた。 2000年頃から日本の産業構造が情報化社会に変わるなかで、大規模工場跡地がどんどん大規模マンションに変わっていった。その頃から大規模マンションのデザイン監修の仕事が多くなり、同時にコミュニティデザインという考え方を言い始めた。
コミュニティデザインとは、集住体のハードデザインと、人と人をつなぐソフトデザインと理解をしている。機能的、物質的視点はまさにハードであり、住宅は箱、器だ。その中身に暮らす人たちをどう考えるかが、ソフトデザインだ。これを合体したものを、僕はコミュニティデザインと呼んでいる。例えば大規模マンションや大規模戸建て団地では、いきなり何千人の人たちが住み始めるが、これは異常なことだ。そこでお互い早く顔見知りになり、挨拶をして、気軽に話をし、非常時には助け合うという、そんな住まい環境をどうつくればいいのかということを具体的に実践してきた。同時にシングルライフのような暮らし方の人たちのための新しいコミュニティのありかたも、僕は考えていきたいということでやってきた。

ハードデザインと
ソフトデザイン

コミュニティを醸成するハードデザインとは具体的に何か。それは、専用=プライベートな空間と、共有=パブリックな空間との中間的領域を、街のなかにガンガンつくっていこうということだ。言い方を変えれば、まちに開かれた住まいづくりだ。近代化住宅においては、公と私、プライベートとパブリックをいかに分断するかをずっと言われ続けた。そして今こういう時代になり、まさに個室住間というものがそうだが、個にまで分断された。これは良い面もあれば、当然ネガティブな面もある。そんな中で集住体のハード面のデザインとして、「専用パブリックスペース」をつくっていくのはとても重要と考えている。
人と人とをつなぐソフトデザインは具体的に言うと、イベント活動、カルチャースクール活動、サークル活動と3つある。コミュニティを形成していく仕掛けとしての3つだ。これをサポートするために、集合住宅が建つ中での応援団として、地元の主婦を募るということをやった。彼女たちは地元のことをよく知っており、新しく入ってきた人に教えられる。またコミュニティサークルをつくったり、街の人物図鑑をつくったり、主婦目線での生活情報を、ネットや紙媒体でどんどん発信していく。そうして近隣の住まいとコミュニティを調整していく、という仕掛けだ。これは建築の設計と同時に、商品化住宅の場合は特に販売開始前、販売中、入居後と、大きく3段階にわけてやってきた。

ハードデザインの事例

コートヒルズ湘南(※写真上左右)は斜面地の分譲集合住宅で、路地空間を沢山つくろうということをテーマにしたプロジェクト。人と人とをつなぐソフトデザインというのは盛り込んでいない、いわゆる純粋な設計の例だ。
2010年の白井小町というプロジェクト(※写真下左右)は、商品規格の基本設計をやらせてもらった。家と家の間をデザインすることをテーマとした、集住体によるハードデザインで、177戸の戸建て団地。住宅は無印良品の窓の家で、最終的には隈研吾さんがデザインされたが、実は本来の窓の家とは間取りや考え方がまったく違い、家がL字型(※写真左下)になっている。なぜL字かというと、家と家の間をデザインすることで結果的に塀をなくし、庭を借景しあって共有するためだ。敷地境界線を明確にするために小さな低い柵をつけているが、とにかく戸建て分譲住宅で塀をなくすというのは多分初めてなのではないだろうか。隣人同士でコミュニティを形成していくための仕掛けで、中央の庭はまさにパブリックスペースであり、ガーデンコモンと呼んでいる。ただ、ここで年に1回程度パーティをする「住人祭」を実践しようとしたが、結果的にそれはなかなかうまくいっていない。やはりハードだけをつくっても、やはりソフトがないとうまく機能しないのではと思う。

ソフトデザインが、
コミュニティをつくる

2002年に、総合監修、デザイン監修をしたシティアは、僕としては初めて理想的なコミュニティデザインを実現できたプロジェクトだと思っている。空から見ると大きな屏風のような形、ここに851世帯、約2000人が一度に住み始める。もともとのある地域コミュニティの中に、さらにコミュニティができると、やはり戸惑う。自然の街というのは何十年もかかってつくられていくのが普通の在り方だからだ。ここ19、20年程で日本の首都圏にはだんだんこのような大規模マンションがでてきたが、人と人との関係がおかしくならないわけがない。だからこそコミュニティデザイン、器だけでなく中身もきちんと考える眼差しが絶対に必要だと言い続け、実践してきた中の、わりと理想形がこのシティアなのだ。 敷地の隅々までデザインし、庭などにそれぞれ名前をつけることで概念を明確にして、住人の方々に理解してもらった。もとは精密機械工場だったが、広大で緑豊かで、生態系調査をしたら、虫も沢山いた。この分譲マンションのひとつのテーマは、「自然のなかに暮らす」になった。木はなるべく切るのをやめた。こんもりした森が残っており、ツリーハウスもある。どうしても切った木は、ベンチにするなど再生している。また中央には共有施設もちりばめた。

広告は、住まいかたを啓蒙、わかりやすく伝えていこうという意図でつくった(※写真)。販売センターはガラスでオープンにし、受付は一番奥にして、手前は全部ギャラリーとして市民に開放していろいろなイベントをした。既に買われた方向けに、これから住まうマンション内でこんなことをやりたいとシミュレーションしてもらうイベントもおこなった。入居後はマンション内でのフリーマーケットや炊き出し、野菜の朝市、キッチンスタジオでのカルチャースクール、お茶の会、ホールでのサークル活動。住まい方を理解してもらうためのパンフレットもつくり、きちんと運営している。
血縁もなにもなく、たまたま同じマンションの中で暮らしている人たちが、お年寄りと子ども、つまり世代間交流としてどうつながるのかが重要だが、これが容易に実現できている。もうひとつ、このプロジェクトのテーマでもあった、自然のなかでこどもたちを遊ばせる環境をつくり、それを大人が見守るということも同様だ。まさにコミュニティ、コミュニケーションが重要であり、その背景にはやはりソフトデザインがある。

なにもつくらず、
なにも壊さない

今まで話されたのは、ハードをつくられている方が多いが、私の場合はプロジェクトデザイナーなので、既存のハードの中でコミュニティをつくって欲しいというご依頼をいただくことが多い。いくつか事例を挙げながらお話ししたい。
まず八ヶ岳の事例。最近は交通の便もよくなり、日帰りのお客様ばかりでペンションの宿泊が減ったというご相談から始まった。アートや自然などもあったが、たまたま朝起きたら、ものすごく気持ちが良かった。それまで観光協会や商工会議所など、なかなか方向がまとまっていなかった方々も、ここは朝が気持ち良いですね、と言ったみたところ、みなさんが一致した。そこで「日本一の朝プロジェクト」(※写真))を提案した。活動は、既存にあるものを外でやりましょう、ということ。バードウォッチングなど地元のいろいろな活動を全て朝にやっていただく。9時オープンのスキー場は日の出前に開けていただき、雪解け水でコーヒーを飲み、新雪を滑る。基本的に私がやらせていただく地域開発やコミュニティづくりは、なにもつくらず、なにも壊さない。今あるものにコンセプトを埋め込むことで、バリューをアップさせる。八ヶ岳は「朝」というひとつのコンセプトをしっかり打ち出すことで、そこにある地域の宝をどんどん付加させていこうという企画だ。

サードコミュニティをつくる

丸の内朝大学(※写真)は2006年、朝の満員電車をなんとかしたいというご依頼から、それなら朝来たくなるようにしてはどうか、何か学べるものはどうか、と提案することから生まれた。当初はイベントとして始まったが、2年前から朝大学という形で様々なコミュニティをつくっている。 最初はコミュニティというよりも、じっくり学べる場をということで、環境クラス、カレーライスを学ぶクラス、ピクニックプロデューサー育成などを全 8回でやっている。ポイントは、必ずフィールドワークで地方に行くこと。例えば地域プロデューサークラスでは新潟に行き、新潟市と連動して市の問題解決に地域プロデュースとして関わらせていただいている。1学期3ヶ月間でのべ約800名の受講者が参加しており、予約時間も予約開始も6時半だが、2、3日で予約をたくさんいただく状況だ。
お酒クラスも始めた。試飲もいれて、ほろ酔い気分で会社に行っていただく。普段会社で言えないことも言ってもらおうというのがきっかけだった。何が目的かというと、プライベートのコミュニティやつながりではなく、ビジネスでのしがらみもない、その中間。スターバックスはサードプレイスと言ったが、我々はサードコミュニティをつくっている。プライベートの繋がりよりも仕事の話はできるが、仕事の繋がりのような利害関係はなく、ざっくばらんに話せる、ある一定の層だ。逆に言えば、コミュニティは拡大しすぎてはいけない。ある心地の良い大きさと同じ条件のもとに、ひとつのコンセプトがあるから、集まりやすい。

コミュニティには性格がある

2年前にメタボ検診が始まったとき、D30(http://d30.jp/)というサイトを立ち上げた。太っている人のライフスタイルマガジン、太っていても幸せなのだからいいじゃないか、それを伝えていこうというこのサイトは、初日に20万アクセスがあり、Yahoo!のトップニュースになった。たくさんの企業から協賛の話もいただいた。そして実は実験もしている。関わってもらった方々にはDマネーというかたちでギャラをお支払いしているが、単位は円ではなくてグラムで、お肉をお支払いしているのだ。
これは地域マネーといって、いろいろなところで取り組まれている。地域開発や地域活性がメインだが、なかなか上手くいっていないことが多いようである。最後に必ず1ポイント1円、何ポイント集めるといくらと、結局円に戻している。ところが我々は1万円の現金よりも1万円の大田原牛のほうが嬉しく、10万円分くらいの喜びをもらえる。原価は1万円だが価値は10万円。これは経済効果だ。最近は地方で野菜の生産年号の社債に100万円預けると年利3パーセントが野菜で返ってくるというのがある。これも野菜好きにはたまらないが、野菜嫌いには、価値にならない話になってしまう。つまりコミュニティには性格があるということ。ある特定のコミュニティの層にとってものすごいバリューがある、というものは、実は地方にもいっぱい眠っている。これからは貨幣価値や資本主義ではなく、「絶対価値観」でトレードしていくと、まだいろいろな地域のコミュニティとコミュニティを混ぜられることが沢山ある。そんな実験も兼ねて始めたサイトだ。

これからの地域活性

六本木農園(※写真)は、農家のライブハウスをつくろうというところから始まった。いま顔が見える農家は沢山あるが、農家からはなかなか消費者の顔が見えない。ミュージシャンがライブハウスで活躍するとレコードショップにCDが置かれるのと同じように、農家の方々のためにも場ができないか。新しいコミュニティを生む場、消費者と生産者が語る場をつくろうという考えで、六本木農園をつくった。レストランだが、週に2回ほど生産者に来ていただき、トークライブをし、直接消費者に語ってもらう。生産者のところにお客さんみんなで旅行にいくトラベルレストランという企画もある。これも「農」というひとつのキーワードでコミュニティをつくっていくということだ。
これまで地域ブランドといえば、特産品や観光地だけを指した。顧客との関係は一過性の傾向があり、評価のポイントも経済効果や客の人数だけのことが多いようであった。とにかくポスターをつくるなど、コミュニケーションは一方的であったり単発的なケースが多く、顧客とコミュニティをつくる言っても本当にやれているのか疑問に感じる事もあった。 100万人の会員のブランドをもっていると言っても、それだけではコミュニティとは言えないのではないか。コミュニティは活性化してはじめて動くものだと私は思う。
これからの地域ブランドは、地域そのものや人々を指すと考えている。地域の活動のコンセプトに人が魅せられることもあるだろし、長期的にやることも大事だ。ブランドの価値や誇り、新しいものが生まれる土壌をつくるためにも、信頼できるコミュニティが不可欠だと言える。また心の満足度や継続性もポイントになる。1度だけ盛り上がるイベントはできるが、2年3年と、本当にコミュニティが広がっていくためには何が必要なのか。コミュニケーションの手法も、ストーリー型や巻き込み型といった、双方向のものになる。丸の内朝大学も単に一過性のものではない。地域に行ったり、何度もみんなで考えたりする。社会のことで、皆で解決しようというものがひとつあれば、何度も繰り返し来るようになっていくだろう。

有名な図(※画像)があるが、都市部から地方への関わりとして、今はほとんどが第一階層の部分しかできていないように思える。これは例えば物産展でとにかく何か買ってほしい、観光客にもとにかく一回来てもらえればという一過性のビジネスであるように感じる。だが大事なのはもうひとつ先の、ヘビーユーザーたちがコミュニティ化していく、その地域が好きな人がその地域に関われる、というプロセスだ。今求められているのは、閉鎖されたコミュニティではなく、「関わっていける」という部分だが、なかなかそれが難しい。それができていよいよ、その地域に住む、その建物に住む、という話になっていくのだろう。

ミドルウェアを埋め込む

コミュニティをつくっていくうえで大事なのはミドルウェア、ハードとソフトを結びつけるものだ。去年、岩手県一関の、古民家を再生して旅館をつくるプロジェクトのコンセプトづくりとプロデュースのご依頼をいただいた。ここには、田舎暮らしというソフトウェアと、古民家というハードウェアが揃っていたが、埼玉や千葉でも古民家はあるだろうし、わざわざ一関まで往復新幹線4万円をかけていく理由を、初めは見つけることができなかった。しかし実際に行ってみるとものすごい広さで、昔の庄屋さまのお屋敷だったのだ。ではこれをミドルウェア、コンセプトにしようということで提案した。
普通の宿は、土日平日、こども大人などで料金が決まるが、ここでは庄屋さまをコンセプトにした値段、つまり役割で料金が決まる。地主役、庄屋様で泊まると、至れり尽くせりで2万円。小作人で泊まると風呂炊きも飯炊きも全部やらなければならないが3000円。すると家族4人で奥さまだけ地主値段、旦那とこどもは小作人ということも出来る。他の家族の旦那様もやはり小作人になって、旦那同士が風呂炊きをしながら話をして盛り上がる可能性もある。そしてもう一つルールがある。あまりにも地主が多いなら一回だけ一揆を起こしていいですよというもの。すると、ものすごく面白くなってくる。
こういうミドルウェアを埋め込むと、やはりそれならハードは古民家がいいと感じるし、風呂炊きも飯炊きも山菜採りもおもしろいコンテンツになる。よかったら翌日、蕎麦打ち体験しませんかなどと、コミュニケーションも増える。せっかくのソフトウェアがコミュニティ化のツールになってないとき、大事なのがミドルウェアというコンセプトなのだ。
コミュニティをつくるときには必ず、「なぜみなさんがそこにあつまるのか」が大事になる。場で集まる場合も、時間で集まる場合も、職種で集まる場合もあるが、やはり「コンセプト」で集まる、同じ価値観を共有しているコミュニティというのは長続きする。

境界線にチャンスがある

境界線にこそ新しいコミュニティが生まれるのではないかと考えている。例えばビジネスとプライベートの間、自宅とオフィスの間、オンとオフ、地方と都市、観光客と地元民。今まではどちらかでしかなかったが、今はどちらにも所属しない、どちらもやりたいという方が非常に多くなってきている。我々は朝大学を仕事とプライベートの間のサードコミュニティと言っているが、つまりすごく気持ちの良い境界線のセグメントを提供するということだ。特に観光客と地元の方々の間には、好きな地域に何度行っても住んでいない限り単なる観光客として受け入れられ、でも本当はその地域のことを自分はもっと想っている、と感じている人が多い。そこに対するステータスが今は存在しないと考える。その辺をうまくコミュニティ化していくことで何かあるのではないか。

コミュニティは畑である

コミュニティは、何かが突出していると生まれない。宗教は一般的にコミュニティとは理解されない。独裁政治の下にいる人も組織コミュニティとはいわない。ディズニーランドを訪れる人もコミュニティにはなってないであろう。ディズニーがみんな好きなだけで、横の人同士のコミュニティにはなっていないと思う。参加者が自主的にその輪の中のクリエイティブに参加できないと、コミュニティは形成できない。一方、コンセプトなき、目的なきコミュニティは一時的には盛り上がっても存在が難しい。
コミュニティはツリー型のように組織や会員制であるのでなく、どちらかというと庭、土だと考えている。そしてコミュニティマネージメントというのは、「どこにつくるか」という場の設定と、「なぜつくるのか」というコンセプトの設定だ。そしてコミュニティを維持していくには、土壌というコンセプトを常に明確にしていくことがポイントだと思う。
コミュニティとはコンセプトに関わるもの。そして、時代性とトーン&マナー、わかりやすさ、参加しやすさ、共鳴度、適度な責任、こういったものが今、みなさんが参画したいコミュニティになってきていると感じる。

クリエイティブの
ネットワーク

ロフトワーク(http://www.loftwork.jp/)というクリエイターコミュニティを運営している。イラストレーターやウェブデザイナーなど、セミプロからプロまで1万6千人が登録している日本でも最大級のネットワーク。サイトの目的も企業の目標も同じ「クリエイティブの流通」で今年で11年。
僕らのビジネスは、クリエイターといろいろなプロジェクトを組み合わせて色々なものをつくること。メンバー(社員)は大多数がプロジェクトマネージャーで、PMBOKという世界標準のプロジェクトマネジメントの組織体系にもとづき大規模なクリエイティブプロジェクトを得意としている。
年間延べ4,000人のクリエイターと500個以上のプロジェクトを手がけている。例えば文部科学省のサイトリニューアルでは、オンライン上に100人のバーチャルチームをつくり20万ページのサイトリニューアルを行なった。

リアルなプロダクトも手がけている。Rooootsというプロジェクト(http://www.loftwork.jp/campaign/lp/roooots_main.html)は、越後妻有アートトリエンナーレとのコラボレーション。サービス業は活性化しても生産メーカーは全然潤わないことが多いという相談を受け、地域の名産品のリデザインを公募という形で全国のクリエイターからアイデアを集結。プロダクトデザイナーの佐藤卓さんに審査をしてもらい高いクオリティのまま製品化を行なった。Rooootsの地域活性とクリエイターによるリデザインのフレームワークは昨年グッドデザイン賞をいただいた。
クリエイティブコモンズという、著作権に関しての世界的な新しい枠組みにも取り組んでいる。ロフトワークという組織の目標はクリエイティブの流通であり、ビジネスはオープンなクリエイティブのネットワークを生産力にしていくこと。

コミュニティそれぞれに
性格がある

昨年、OpenCU(http://www.opencu.com/)という新しいウェブのサービスを立ち上げた。テーマは「クリエイティブの教え合いネットワーク」。毎週開催されていて現在2,300人のクリエイティブ業界やWEB業界の人々が登録/参加をしている。Loftwork.com(http://www.loftwork.com/)と違うのはリアルなこと。登録の名前は実名かツイッターの名前を使い匿名は禁止。実際のクラスでお互いに会い知識を交換する。バーチャルなネットワークであるloftwork.comと違ったのは「リアル」が生むコミュニティのキャラクターの濃さだ。
他にもいろいろなコミュニティの立ち上げに関わっているし、僕自身が勉強会や研究会に参加をする事も増えてきている。
そこで感じるのは、コミュニティそれぞれに独自のキャラクターがある事。アウトプットをめざし組織全体で発見をし学習をしていくと、組織それ自体がまるで学習をするひとつの知性のように感じる。 集団的知性、コレクティブインテリジェンスという言葉が100年前に生まれた。提唱したウィリアム・ウィラーは昆虫学者、アリの群れをひとつの知能として捉える事からスタートし、哲学、社会学へと連綿と続き、組織論へと系譜していく。トム・アトリーは集団的知性を、「協調と革新を通してより高次の複雑な思考、問題解決、統合を勝ち取り得る、人類コミュニティの能力」しており、またそのコミュニティ自体をひとつのキャラクターとして考える事を提唱した。マスコラボレーションについてのベストセラー「ウィキノミクス」(ウェブを通じた無数の人の協業によって成立する世界)でも集団的知性について言及されている。ウィキノミクスのキーワードは、opennessオープンであること、peering公平であること、sharing共有すること、acting globally世界的な活動が可能になる、という4つ。ウィキノミクスの元となったウィキペディアは世界最大の「協業体」でありライブラリーでもある。これをひとつの知性体ととらえてみるとどんなイメージの生物になるだろうか?

集団的知性を
デザインする時代

3.11の時、クリエイティブ側からでも何かできるのでは、するべきではと考え、Art for Life(http://www.a4l.jp/)というサイトを立ち上げた。クリエイティブのチャリティイベントを登録できるサイトで、現在でも数多くのメンバーがさまざまなアート系、クリエイティブ系のチャリティイベントの募集や告知をしている。
2011年3月の約90年前には関東大震災があった。当時の震災後の状況は暗いだけでなく、日本の文化が発達し、大衆文化が生まれた時でもある。これまで貴族のものだった文化が、誰でも楽しめるようになっていった。今回の震災でも、コミュニティを捨てるというと、かわいそうという声もあるが、それは決してネガティブなだけではない。連綿と続くコミュニティもあれば、新しいコミュニティも皆つくってきている。国家や地域、会社などは常にコミュニティの中心だが、一方で今、既存のコミュニティに固執をしない人々が生まれてきている。
既存の企業や組織を集団的知性として捉えたとき、どうあるべきか、どういうキャラクターにしていくべきか。一方、個人で属する集団的知性によってキャリアがつくられていく時代にもなってきているのではないか。このHOUSE VISION もひとつの濃密な集団的知性と言える。昔と違い、今は集団的知性をデザインできる時代であり、それがこの転換期の面白いところだ。我々が属しているコミュニティのいろいろなところに集団的知性が生まれている。30年前までは会社にしか属していなかったが、今では3つ4つくらいに属するのが当たり前になってきている。集団的知性に自ら参加をし、育て、デザインをする。その過程で新たな出会いがあり、自分自身も成長する。
コミュニティと学習や成長という僕らの重要な要素が大きく変わってきている今”House”という器はどうあるべきか。僕にとってのHOUSE VISIONはその思考トレーニングの場であり、意義深いものだ。 そして参加する全ての人にとって有意義な「コミュニティ」になることを願っている。

世界の空間シェア事例

すでに沢山の方から話が出ているが、シェアという考え方がかなり広まっている。サービス、モノ、情報、空間と、様々なことがシェアされ始めているが、日本ではまだそれほどメジャーではない。海外のほうが比較的進んでいる状況だ。最近、建築系として空間のシェアについて特に興味を持ち、海外を含めてリサーチを始めている。ここではまだあまり日本に無いものを紹介していきたい。

HUBというシェアオフィスはフリーアドレスで、会員になると、ドリンク無料、ミーティング室もあり、イベントやセミナーも行われる。一人で来て仕事をすることもあれば、一緒にプロジェクトをこなすこともあり、その中で緩いつながりをつくる場になっている。空間としてもそれぞれがかなり魅力的なのがいい。イギリスのキングスクロス(※写真左)、アムステルダム(※写真右上)、ブリュッセル(※写真右下)など世界28都市あるが日本にはない。
次はFab-labという、工房をシェアするもの。レーザーカッターやプラズマカッターなど、普通家では手に入らない、一人では所有できないものをシェアし、みんなで持って自由に使っていこうという考え方だ。これも、みんなで来るときもあれば一人で使う人もいる。おもしろいのは、設計されたものの図面はストックされていき、後に来る人たちはそれを参照することができるという、オープンソース化も同時にやっていることだ。

ボストン、アムステルダム(※写真右上)にあり、実は慶応大学の田中浩也さんが日本第一号を鎌倉(※写真右下)にオープンしており、これから成果がでてくると思っている。
みんなで街中でキッチンを使いパーティをする、シェアキッチンもある。メニューは記録されオープンソースに 六本木のシェアライブラリは会員専用で、サロンであり、オフィスやカフェもあり、イベントもある。
一番大きい事例として、エネルギーを共有する試みもすでに始まっている。バイオマスエネルギーで50%超をまかない、地域全体でマイクログリッド(小規模の電力供給網)を形成して、余剰エネルギーは外に売る。こういったものは北欧を中心にかなり行われている。
日本では、例えばHUBのようにフリーアドレスのものは成り立つのだろうか。日本の普通の会社員が本当にそういう場所をうまく使いこなすことはありえるのか、と言う人もいる。HUBは見方を変えればカフェのようなもので、スターバックスでLANにつなぎ、打ち合わせ前にパソコンに向かうということが、より整った環境でできるだけだ。さらに印刷して、資料を直す、といったことまでできてしまう。そういう意味では充分にありえる。カフェ文化が既にかなり定着しているので、これからはどんどん当たり前になっていくのではないか。

share link city

コミュニティの話は、建築や都市計画系のなかでは結構古くからあった。1920年代頃に提案された近隣住区の事例(※図面上)は、当時車が発達してきて幹線道路で街区が分断されてしまうため、むしろそれを武器として、街区という単位で小学校を中心としたコミュニティをつくろうという計画だ。ただ、街区の中すべてをつくり直さないといけないため、巨大な開発のときなどに行われた。これを図式化すると(※図面中)、街区ごとにまとまって、それが連なっている状態だ。コミュニティの話をされるときに、少しウェットで気持ちが悪いなと思われる方がいるかと思うが、この絵を見ると分かる。結局輪の中でまとまっているので、広がりがなく、世界観として閉じているのだ。これは、マンションの並びかたともちょうど一致していて、片廊下型に家族がずらっと並んでいるということに限りなく近い状態だ。今はこれがさらに無縁化して、隣に住んでいる人も知らないということになっている。
それに対して、こういう世界(※図面下)こそ本当は正しいのだろうと思う。小さいまとまりもあれば、大きいまとまりもあり、重なり合っているところもある。知り合いの知り合いを辿ると、最後はほとんど全員と知り合いになる。これは本来の正しい関係であり、実際普通に暮らしている人は自然にそうなっていると思うが、やはり薄れつつあると、もとの図のようになってしまう。そんな中で、シェアというのはスポット的に都市に介入してまとまりをつくっていけるものだ。全体を計画しなくてもいいという意味で、既にできあがった街、あるいは縮小する街に対してコミュニティを提案していくには、シェアはとても都合がいい手段でもあると感じており、我々はこれをshare link cityと呼んでいる。

新築シェアハウスの可能性

これはある雑誌のために、今すぐに実現できなくてもいいということで描いたもの(※写真)で、基本的にはシェアハウスだ。個室は部屋のみという形式で、上部でLDKを共有するかたちになっている。一方で、今までいろいろなシェアの形式があったが、複合化することは充分にできる。下部にはシェアライブラリを想定しているが、シェアハウスの人たちだけのものとしたらおもしろくなく、昔の近隣住区のように閉鎖的になってしまう。これをオープンにし、近隣住民も会員として使えるかたちをとる。近隣の人にとってはよくわからない巨大マンションが建って嫌だという動きがあったとしても、その中に自分たちも使える場所があるとすれば、また話は別になってくるだろう。一方でシェアハウスの住民も、自分たちの建物には特別なものがあり、自分たちの本を少し差し出してもそこに行って読めばいい、となれば、外と中との関係を保つものが組み込まれていく。使わなくても使ってもいい、自由なものとして、これは十分にあり得るのではないかと思う。
この例はいろいろなものを複合化し、大きなお金を動かさないと難しいが、少し小さいかたちであれば実現できなくはない、ということを次にお見せしたい。
実は途中で止まってしまったものだが、2年ほど前に個人の投資家から、集合住宅を建てたいがどうしても利回りが合わないという話があった。そこで利回りも合って、実際にあり得るプロジェクトとして、新築のシェアハウスを考えた。個室から水まわりを全て出してしまう一般的なシェアハウスの方法ならば、住戸がかなり増える。このケースでは30戸のワンルームがシェアハウスだと41戸になり、結果的に賃料は少し下がるが、利回りはプラスになる。また一般的な寮などのリノベーションだと共用部は必然的に1階になるが、新築ならば共用部の展開の仕方も自由で、ちょっとした街のような空間をひとつの建物のなかに構想することができた。共用のリビングを複数の階に展開することや、普通ならお金持ちのための部屋になってしまう最上階を全員に開放していくということも考えられる。

シェアにおけるハードの役割

このように、シェアにはオペレーションが重要なことが多いが、では建築やハードの側からは何もしないということではない。まとまり方や大きさというものは十分に建築的、空間的な要素で、それがうまいかどうかで使われ方はまったく変わってくる。
今後、オペレーションもしっかりと行いつつ使えるものも考えていくとき、新築スケルトンという解もあると思う。スケルトンのかたちとして、部屋の中のプランが自由だとか、そういった方向がひとつある。そしてもうひとつ、個室、小さな共用部、もっと広い共用部の関係性がそのままスケルトンであるということが、大きなブレイクスルーになるのではないだろうか。
これは上述のプロジェクトのプラン(※図)だが、基本は四角い空間に囲の字に9個のグリッドをつくりその中にプランを収め、ところどころ壁を抜いてグリッド2つ分、4つ分といった共用部をつくっていく。このような従来とはまったくかたちの違うものが必要になってくるのがこれからの時代だ。そういう意味で、ソフトの重要さが多いシェアだが、ハードの側もこれからむしろ重要になってくると考えている。

終わりに|原研哉

「家」というものは、ある経済文化という土壌に生えた木になった「実」のようなものだ。だから実をよくしようと思うと、まずは土壌を肥やしていかなくてはいけない。そういう意味で、日本は、土壌に喩えると結構いい肥え方をしてきているのではないかと思う。この土壌を見つめ直していくということに新しいHOUSE VISIONのヒントがあるのではないか。
土壌を肥やしていくのは、ハウジングメーカーや不動産デペロップメントの会社だけではない。お役所やエネルギー会社、住生活器機や医療器機メーカーなど、さまざまなサービスを供給する組織や人々が一緒になって「家」を見つめていくことで、相当に大きな改革ができるし、実のほうも相当にその性格を変えてくるはずである。それは国内の内需だけではなく、アジアの大きな需要に応えていくといった方針をも生み出しつつある。
今日は土壌に関して、よりコミュナルな視点、つまりコミュニティをどう考えていくかがテーマだったが、従来の狭い意味での隣近所のお付き合いの問題ではなく、ひとつの集団的知性、集合知のあり方のへの問いかけが生まれてきたようだ。

文責=波間 知良子