原研哉ブログ
「家はどこにあるのか?」

第6回

住宅リテラシー

住宅リテラシー

「住宅リテラシー」という言葉を耳にするようになった。自分で自分の住まいをつくることのできる能力、という意味で使われているようだ。つくると言ってもプロのように設計することではない。望ましい生活空間をはっきりとイメージすることができ、それを専門の建築家に伝えて、自分の家をかたちにできる能力のことである。決して特殊な戸建住宅にあこがれを持つ建築マニアではない。その多くはむしろ家に対しては平熱の姿勢で、ひとつの常識として「住まい」に向き合っている。
近年、この「住宅リテラシー」の高い人々が増えつつあり、集合住宅のカタログや住宅展示場から卒業しはじめたのである。そして、都市においては最もリーズナブルな、中古物件のリノベーションに興味の矛先を向けはじめている。
考えてみると「家の作り方」は誰も教えてくれない。学校でも教わらないし、父の助言も祖父の教訓もさして役に立たない。なぜなら、日本の家族のかたちやコミュニティのかたち、働き方のかたちや通信のかたちが、この五十年の間に激変したからである。だから知識は常に流動的で定まりにくく、しばらくは家庭でも学校でも教えることが難しかったのである。
それに加えて、戦後の日本経済は右肩上がりの状態が続いてきたので、不動産業は地価の値上がりを前提とする金融業に近いかたちで営まれてきており「家の品質」より「地価」の方に人々の注意が向かいがちであった。結果として似通った2DKや3LDKがはびこり、そこに建築家やデザイナーが立ち入る余地はあまりなかった。
しかし、時代ははっきりと変わった。航空機が高度一万メートルに達すると水平飛行に移るように、日本の経済も水平飛行となり、「土地」ではなく「家」が、ようやくまっとうな商品として、人々の生活意識に向きあう位置に浮上してきたのである。
先に述べた傾向は、それを反映した現象で、住宅リテラシーの高い人ほど新築から離れ、優良な中古物件を探し出して、それを自分の暮らしに合わせて改装して住むという方法が常態となり始めている。出来合いの平均的な間取りには満足できないし、だからといって新築マンションを購入してすぐ壊すのはもったいない。それに、築後に時間を経過した物件は、住宅地としての環境もあわせて吟味できるという利点がある。時を経て緑も存分に育った環境は、住宅地としての成熟度も上がっている。そして気の済むまで改装された住まいのかたちは、当然のことながら、見た目も住み易さも格段に向上するのである。
旅のかたちも、パッケージツアーを脱して、各自が格安航空チケットを探して自由に旅をするスタイルが定着してきた。つまり「旅行リテラシー」はすでに常識の範疇である。それと同じく、暮らしという人生の旅においてもリテラシーが高まってきている。これは実にたのもしい傾向ではないか。
家は生活そのものである。家がきちんとしないと、文化も美意識も育たない。住宅へのまっとうな意識や興味の高まりによって、窒息しかけていた生活文化に新たな光が射してきたように思うのである。そこに暮しの成熟感をよりはっきりと自覚させてくれるような、活力のある「家」のマーケットを探してみたいし、つくってみたいのである。