原研哉ブログ
「家はどこにあるのか?」

第4回

扉の開く音

扉の開く音

HOUSE VISIONの展覧会に向けての記者発表を行った。HOUSE VISIONは東京や北京で続けてきた研究会やシンポジウムを経て、いよいよ展覧会に向う。勿論、展覧会がゴールというわけではない。しかしこのプロジェクトの大きな意義の一つが産業ヴィジョンの「可視化」であるわけだから、展覧会はとても大事なステップなのである。家を従来の住宅産業を超えた、多様な産業の交差点と捉えるならば、それがどんなものになるかを「こうだったりして」と仮想し、具体化してみせることは重要である。経験から導かれるものでもなく、論理から推測されるものでもない。「仮想」という能動性をアメリカの哲学者チャールズ・サンダース・パースは「abduction(アブダクション)」という言葉で呼んでいるが、この「abduction(アブダクション)」すなわち仮想こそ、今日のデザインに求められる創造性なのではないかと僕は考えるのである。
経済や産業が順調に発展している時には、デザインは新製品のスタイリングや、効率の良いブランディングにいそしんでいればいいのかもしれない。しかし産業の行く先が不透明で、どこに未来を見ていいのか分からない時には、そこに潜在しているものを「かたち」にして見せる必要がある。エネルギーや移動、通信、複合化し家化する家電といった技術的な側面は勿論のこと、成熟マーケティングや大人たちの行動原理に見合った新しい幸福のかたち、日本の伝統や美意識を発露させていく対象物としての家、そして健康やホスピタリティの今後など、さまざまな価値や視点もまた「家」に交差していく。その様相を具体的な10棟以上の「家」として表現していこうとするのが、展覧会「HOUSE VISION東京展2013」なのである。
B to Bのイベントの出展ブースの中で企業の論理から提示されるものとは一線を画し、企業が建築家やデザイナーと同じフィールドで創造性を競える場をつくり、まだ誰もが見たことのない「家」の未知なるかたちを、次々と展覧会の中に結像させてみたい。厚く高くなりすぎた企業の「壁」を取り払って、どんなものができるか分からない未発のものづくりを、ここに実践してみたいのである。
僕はデザイナーであるから、個としての感覚の発露も当然大事である。しかし多くの才能や技術を掛け合わせてメッセージを作り出していくような「こと」のデザインにも同様の興味とエネルギーを注いできた。2000年の「RE DESIGN」や2004年の「HAPTIC」、2007・09年の「SENSEWARE」、そして同じく2009年の「JAPAN CAR」などは、そうした衝動に駆られてつくってきた「こと」のデザインである。HOUSE VISIONもその延長上にあるが、今回は規模が少々違う。
HOUSE VISIONは企業のリーダーの方々に会いに行き、直接対話をしながら企画を育ててきた。これからの産業を明るい方向に引っぱっていける人々に一人でも多く会い、それらの方々の意識を結びあわせることがスタートとなる。それは従来の住宅産業の担い手にとどまらない。
2012年6月20日の記者発表は、そういう意味で、斯界のリーダーが顔を合わせ、アイコンタクトを交わし合う歴史的なイベントであった。記者発表に出席いただいたLIXILの藤森義明社長、良品計画の金井政明社長、CCCの増田宗昭社長も、何度も対話を重ねてきた方々であるが、こういう方々が一堂に会し、抱負を披露し合いながら、「家」の周辺を一緒に掘ろうよと、意識を共有していただくことが、何かの扉を開けることになる。ドアが開けば、そこにクリエイター達を呼び込むことができる。記者発表では、その音がしっかりと聞こえたように感じられた。