原研哉ブログ
「家はどこにあるのか?」

第3回

HOUSE VISON in ASIA

HOUSE VISON in ASIA

日本の家を輸出すると書いた。輸出先は今後の世界経済の重心となるアジア諸国である。しかしさすがに「家」は、伝統や習慣、そして気候や風土に密着したものであるから、日本で生み出された家をそのままのパッケージで輸出できる訳ではない。さらに言えば、家や暮しは文化の誇りと密接な関係を持っている。経済と表裏の関係にある豊かさの要因は「誇り」にあると僕は思う。自分の生まれた土地の上で、あたう限り見事に開花してみせるという意志の背後には、人々が国をなし、生き生きと生活する大きなモチベーションが潜んでいると思うのである。だから、アジア諸国に、自国の洗練された家はどうですかとセールスをするのは気が利かない、というか厚かましい。
まずは大きなアジアの時代が到来しつつある実感を共有しつつ、明治の頃に大きく西洋化に舵を切らなくては立ち行かなかった日本の事情や、しかしながら長い歴史の中に蓄積された生活美学を資源として、自国の文化を未来において取り戻しつつ「住まい」のかたちを考え始めている現状を丁寧に説明し、共感を得た上で、ともに「アジアの暮し」について話し合い、家の可能性についての視点を交感させていく、という姿勢が肝要なのだ。
東京大学生産技術研究所の村松伸さんと話をさせていただいているうちに、その点に気づくことが出来た。村松伸さんは、アジアの生活文化研究の専門家で、アジアの都市の可能性について考えてこられた人だ。だからアジア諸国に日本の家をそのまま持って行っても、簡単には受け入れられないだろうという予見と、どうすれば家のヴィジョンを共有できるかという点についてのヒントをいただいた。
アジアとひと言で行っても、やはり広い。お隣の経済の圧力に気をとられて、僕らは中国ばかりを意識しがちであるが、インドネシアも、タイも、インドも、台湾も、それぞれに大きな可能性を持っていて面白い。インドネシアは、東西の幅はアメリカ合衆国と同じくらいに広く、陸地ではなく18000あまりの島からなる国である。陸地も所詮は点在する都市のつらなりと考えるなら、島々として点在するインドネシアも実に雄大な大国の様相として眺めることもできる。自然に恵まれ、島といってもボルネオやスマトラなどといった手つかずの熱帯雨林に恵まれた巨大な島も含まれている訳で、その未来を考えるとわくわくする。首都ジャカルタは、江戸時代から世界一の人口を擁してきた東京圏を追い抜こうとする巨大都市でもある。
インドの人口もそろそろ中国を追い抜きそうだし、ハイテクにめっぽう強い理科系の頭脳を資源とするこの国の生長も実に楽しみである。インドの人たちは、玄関で靴を脱いで家に上がる習慣を持っていて、この点は日本との大きな共通点である。
これらの国々の人々と、それぞれの文化資源について語り合い、互いの「家」の未来を考え合うような機会を持つことが出来たら素晴らしい。 村松伸さんとお話をする機会を得たことで「HOUSE VISOIN」は「HOUSE VISION in ASIA」というより大きなヴィジョンへと進化することができたように思う。これはとても大きな収穫でありプロジェクトの生長であった。
僕らは長い間、近代という社会のあり方とともに、モダニズムという思考方法にのっとった環境形成の方法を西洋から学んできた。西洋を乗り越えるぞと勇んでみても、それは決して簡単なことではない。しかし、それを承知の上で、こつこつと思考の土塀を搗き固め、思想の糸を織り上げて行くような着実なモチベーションを、この視点から得られたような気がしたのである。